絵画批評
大阪に帰郷した。
暇なので押入れを探っていたら自分が幼少期に描いた絵が出てきたので、批評をしてみた。
「階段」
いやどこを描いてるねん。学校の中を描きたいなら、教室とかテラスとかもっと主流な所があるだろうが。場所のチョイス一つとっても、冴えない子供であったことが窺える。
「四霊文様、龍」
体に比べて、顔が明らかに手抜きである。太ペンを使ってる時点で精密に描こうとする気は毛頭無い。鱗に力入れすぎて顔を書く前に既に力尽きたのか。
「中学生になった私の心」
完全に芸術家にかぶれていらっしゃる。学校の授業で抽象画を描こうとする発想が、イタい。
「ひまわりと蝶」
この世に存在する全ての蝶を見たわけではもちろんないが、おそらくこんなサイズの蝶はいない。
「鳥」
いない生き物シリーズ第二弾。絵に色味をつけたかったのだろうが、こんな鮮やかなパステルカラーの鳥が綺麗に三色揃った光景は不自然にも程がある。キツツキをガン見するパステル3羽が怖い。
「父と過ごした日々」
灰谷健次郎の『太陽の子』という小説をテーマにしている。親子の後ろ姿をマーブル模様のシルエットにしたあたりの、「わいのセンス、どや?」感がハンパない。しかし残念ながら、それによって太陽の雑さが際立たっている。
「サンゴ精肉店」
店のチョイスから、庶民の子ども(決してお金持ちの家ではない)であることが窺える。
ちなみにこれは私の家の近所にコリアタウンという大阪版 新大久保みたいな商店街があるのだが、そこにあるお店だ。ここで肉を買ったことは、一度もない。(新喜劇ならみんなでズッコケるところだ)
「一つになった絵」
『風の絵師』という韓国ドラマをモチーフにしている。
「父と過ごした日々」しかり、仲良く並ぶ二人の後ろ姿を第三者の視点で描くという構図がかなり気に入っていたらしい。中二病の一種であろう。背景の絵は印刷物だが、それすらも自分の描いた絵のように見せようという魂胆が見え透いている。イタい。
結論から言うと、幼い頃の自分はイタかった。
しかしながら、「今のあんたも負けていないよ」と、ゆすんBが言っている。
きっと10年後の自分も、今の自分が作ったオリジナル曲にツッコミを入れて冷笑していることだろう。