自転車で日本一周することについて

「自転車で日本一周をする理由は?」

もし誰かにそう聞かれたとしたら、「理由はない。が、むしろ旅をしない人生はありえない」…なんてキザなセリフを言ってみたくもなる。

が、そこまで達観した思想を持たない私が清水の舞台から飛び降りる思いで決断した、というところにむしろ味わいがあるのかもしれない。

私は、映画『イージーライダー』や『モーターサイクルダイアリーズ』が好きだ。

イージーライダー』で、旅に出る前に腕時計を道に投げ捨てるシーンがあるが、そこで全身がゾクゾクっとする感覚を覚えたことをきっかけに、高校・大学時代はよく自転車で遠出したり、ひとりで北海道から沖縄まで津々浦々を旅した。

旅が好きになったのには、父の影響があった。

バイクの後ろに乗って、よくキャンプに連れて行ってもらった。

また、父が大好きで家でよく見ていた『男はつらいよ』を幼い頃から断片的に見ていたが、昨年ゴキゲンヤガレージのタローさんがアレンジされていた『男はつらいよ』のテーマソングをカバーしたことをきっかけに、はじめて全シリーズを通して見てみて「寅さん、渋いなぁ…」と完全に心を奪われてしまったのだった。

そして昨年、空野大さんという過去に自転車で日本一周を成し遂げ、現在もギターを背負って旅をしている素敵なシンガーソングライターがいて、その方と話したことをきっかけに私の決意は固まった。

 

しかし旅人というと、一般的に見れば「何をやってるのかわからん、ふらふらしてるやつ」と思う人も多いかもしれない。

私に、こう言ってくる人もいた。

「それをして、何になるの?」と。

私もどちらかというと「何でも目的意識を持ってしないとダメ」「何かを積み上げねば意味がない」と窮屈な考えに陥ってしまいがちだが、そもそも人生に絶対的な目的は無く、「目的無くふらふらすることが目的」という人がいる方が面白い。

一生懸命何か成果を上げようとしたり、社会に貢献しようとすることは、偉いことだ。そういう人を見ると、純粋に尊敬する。

しかし、そうであっても、専ら「〜のために」「〜に向けて」ばっかりで、"隙がない"のはあまりにもつまらない。

人生100年時代。これから"何かをする"前に、自分の中にたくさん"隙"を作りたい。さもなければ、何か意味のあることをしようとしても、自分自身がイライラして不幸せになってしまう気がするのだ。

と、結局理詰めで考えてしまうのが私のつまらないところなのだが。

 

旅の道中には、田舎すぎて泊まるところが無かったり、あっても値段が高すぎたりで、必然的にテント泊しなければならない日がある。

女性が一人で野宿することをすごく心配してくださる方もいるが、できるだけ海岸のキャンプ場など安全な場所を選び、催涙スプレーを枕元に置くという対策を立てている。(間違って自分の方に吹きかけないでね!という心優しい助言も、心にしっかり刻み込んだ)

リモートの仕事をちょこちょことしながらの旅になるため、時間はかかりそうだ。期間は、だいたい一年を目安にしている。かなりの長旅だ。

何がともあれ、交通事故とコロナ(ワクチンは打ったが油断できぬ)にだけは気をつけて、健康体で旅が続けられたらいいと思う。何かあって旅を続けられなくなる可能性もあるが、今はそうならないことを祈るのみだ。

 

また、日本一周が終わってからやりたいこともたくさんある。音楽でもっと自由になれるように力をつけたいし、阿部浩二さんみたいに世界を旅してみたいとも思っている。

そしてこれはまだ漠然としているけれど、いずれは一人だけじゃなくて誰かと力を合わせて、たとえ小さくてもこの社会の中に素敵な流れを作ることができたらな、と夢見ている。今まで自分と関わってくれた人たち、お世話になってきた人たちに恩返しもしたい。

自分がやりたいことをやるといっても、結局私は一人では生きていけない。綺麗事じゃなく、誰にも頼らずに一人で前に進み続けられる程に心が強いわけではないからだ。

 

そのためにもまずはこの旅で、圧倒的な他者と出会い、良くも悪くも価値観が打ち砕かれるような経験がしたい。

自分でペダルをこぐ程に、外側の、そのまた外側に放り出されるくらい、強烈な。

本来なら生涯出会わなかっただろう、人と、事と、会いに行こう。