無駄なこと

無駄な行動をしてきたのだろうか。
ボーっと眺めていただけのテレビ番組、ただ面白かっただけのゲーム、全く実りのない無駄話…そのすべてに割いた時間は無意味でしかなく、ただ粛々と寿命を縮めていただけなのだろうか。


仮にそれらを全くしないで生きている人間がいたとしよう。彼は当然、そのような無駄の代わりに勉強や練習、とにかく有意義なことだけを選び取り、淡々と執行し、その結果どこかしらの頂点に上り詰めたとしよう。

 

しかし、その彼がある日突然人を殺してしまったとしたら、どうだろうか。いわゆる専ら"有意義なこと"にしか意味を見出してこなかった彼は、''無駄なこと''を避けることと同じ文脈で''無駄な人間''には存在価値を見い出せないはずで、その生命が絶たれて"無駄がなくなる"ことをむしろ"有意義"に感じてしまうのではないだろうか。

 

そうだ、サイコパスとはこいつのことだ。

 

そうならないためには、むしろ自分が無駄なことに時間を割くことに対し、意味を見い出しこそせずとも、ある程度それを受け入れる器(自分自身に対して同様、他人に対しても)がなければならないのではないだろうか。

否、積極的に受け入れていこうではないか。

 

一日かけて新しく曲を作り、寝る前にボツにした、そんな週末であった。