ショート(仮)(2)

「えー、なんでそんなとこに引っ越したの?」

朱鈴が私の顔をしげしげと眺めながらそう言った。

「だってさ、外国籍だし、自営業だし、そもそも審査通してくれる保証会社自体が少ないんだよね」

「そりゃそうだ。あっお姉さん、お冷くださーい!」

朱鈴は、ウエイトレスに向かって腕を大きく上げた。その姿が少し大げさだったので、私はプッと吹き出した。

「うんうん。いやー、それは難易度高いわ」

「でしょ?あんたはまだ正社員だからいいけどさ、私なんかほんっとに無いんだよね。外国籍オッケー、自営業歓迎とかさ。そんな物件そうそう無いよ」

「そうだね。それにくわえ、お得意のおっちょこちょいでベッドマットの丈を間違えて買ってしまったと」

「そう、ただでさえ引っ越してお金ないのに。もう、踏んだり蹴ったりだよ」

「とんだ災難だったね。それで、結局どうやって探したの?今の家は」

「紹介」

「誰の?」

「永樹」

「あー、あいつ教師辞めて不動産屋に転職したんだっけ。よくやるよねー。って、あんたらまだ付き合ってたの?」

「ううん、別れたよ。とっくにね。今はただの友達」

「そうなんだ!いい別れ方したもんね。まあ、あんたには今ぞっこんの人がいるんだものね~」

「……まあね」

私はその人のことを思い出しただけで、少し顔が火照るのを感じた。

「で、その人とはどうなの?最近」

「うーん、なんか続かなそう」

「えっ、そうなの?めっちゃ好きなんでしょ?」

「いや、子ども欲しいんだってさ」

「へ~。まあ、それ普通だと思うけどね。子ども欲しくないっていうあんたの考えが少数派……あーでも、今の時代はそんなことないのか?」

「そうだよ。今は子ども作らない夫婦もいっぱいいるんだよ?在日同胞社会が産めよ増やせよなだけでさ。そんなのさー、社会存続のために自分の人生を犠牲にしたくないに決まってんじゃん。てかまあ、私の考えを抜きにしても問題が多すぎるのよ」

「ほう、例えば?」

朱鈴は興味津々な様子で身体を前に乗り出してきた。

「まず、子どもの国籍と、通わす学校の問題ね」

「それね」

「あと、両親に私のこと伝えてない。よって、もちろん私が在日コリアンってことも、彼の両親は知らない」

「それ、怖いね」

「で、これが私的には何よりもネックなんだけど、私も相手も低収入なのよ」

「その人は何の仕事してるの?」

「飲食。家系ラーメンの店で、ラーメン作ってる」

「ほえ~」

「え、何その反応」

「いや、意外だった。なんか、デスクに座ってパソコンカチャカチャしてるようなイメージだったわ」

「ぜんっぜん違うよ。スーツ一着も持ってないんだから。しかも朝から晩まで働きづめでさ。休みも不定期だから日程合わせるのも難しいし。それでいて、子ども生まれても長く仕事休むつもりはないみたい。『ラーメンの世界はそんな甘くねえ』とか言って」

「なるほどね。それで子ども欲しいって言ってんのは確かに難ありだな」

「でしょでしょ?そう言ったんだよ。そしたら『親が汗水流して働いてる姿を子どもに見せるのは悪いことじゃないだろう』ってさ」

「まあ、それはそうだけどさ。あんたが働くんだったら子育て誰がするのよって話だよね」

「そーなんだよっ!」

私は勢いあまって大声を荒げてしまい、とっさに手で口を覆った。

隣の席の女性がチラッとこちらを見たので、軽く会釈をして話を続けた。

「要するに、考えが甘いんだよね。それもあって私は反対してるのに、『悠亜の考えが変わらないなら、いつか別れるしかない』って…」

「何それ。子ども作ることがメインになってんじゃん。その条件を受け入れてくれる女だったら誰でもいいってわけ?」

「その条件を全部受け入れてくれて、なおかつ大好きになれる女性を探すんだってさ。頭の中お花畑だと思わない?」

そう言って私は、ふぅ、と自分の怒りを鎮めるように息を吐いた。

「まあ、夢見がちで自分勝手だね」

「でしょ?」

「でも、好きなんだもんね?」

「うん」

「どちらからも別れを切り出せないんだよね?」

「うん」

「困ったもんだね」

「困ったもんだよ」

私たちはそう言いながら、お互いの肩に手を乗せあった。そのまましばらく見つめあっていたが、ついに朱鈴が吹き出したので私も吹き出した。

「まあ、いいじゃん。まだ25歳なんだからさ。進みたい人生の方向が違うから別れるっていうのにはまだ早すぎると思うよ?」

「ただ、相手が31なんだよね」

「そうきたか」

「そう、だから焦ってるんだよ」

「なるほどね……」

私は朱鈴が何か言ってくれることを期待したが、朱鈴はそのまま黙り込んでしまった。

「……けじめ、付けるしか、ない、よね」

何か言わないとと思って絞りだした言葉が、自分自身の心をチクチクと刺した。

「…悠亜?」

私は、自分が気付かないうちに目から涙を流していたみたいだった。

「…あ、ごめん、なんか、わたし」

「悠亜」

涙が止まらなかった。風船から空気が抜けるように、押し殺していた気持ちがどんどん流れ出てきた。

「……もっといい人が見つかるよ、って言ってあげたいけど、そんな言葉今は受け付けられないもんね……。よし、泣きたいだけ泣きなさい!ほら」

朱鈴は私の隣に来て、腕を大きく広げた。

私は朱鈴の胸の中に顔をうずめて、子どものように声を荒げて泣いた。