久々に小説書いた。いつになく真面目です

ええ女

 

「別れよう」

「え、なんで」

「お前、女ちゃうすぎるわ」

「…は?」

「だからどっちかといったら男やねん、お前は。友達に“彼女”って紹介するのも恥ずかしいわ」

彼にそう告げられたとき、私の指に挟まれたセブンスターから一塊の灰がぽとりと床へ落ちていった。

「最初はそういうボーイッシュなところが好きやったけど、もはやボーイッシュとかちゃうねん、男やねん」

「でも男やったら付いてるもん、付いてないで?」

私はそう言いながら、「自分何言うてんねん」と思った。でも何か言わないといけないと思って、とっさにそんなバカげたことを口走ってしまったのだ。

「そういう問題ちゃうから。そういう、わざと空気読まんと恍けてくるとことかも、もうしんどいねん」

そう言った彼はいつのまにか荷造りをしていたらしく、キャスター付きの大きなボストンバッグを引きながら「ほなな」と捨て台詞を吐いて出て行ってしまった。

その後、自分がその日一日をどう過ごしたのかはほとんど記憶に残っていない。

やっと我に返ったとき、私はパチンコ屋で必死にエヴァを打っていた。

一瞬のうちに、十万負けた。バカみたいだった。

 

「ただいまぁ…って、誰もおらんのやったわ」

彼のいない家はびっくりするほど大きくて静かだった。

私は、着の身着のまま布団の中にもぐりこんだ。今まで何度振られても、振られ慣れるというようなことはなかった。きっと、これからもそうだ。

「男…」

朝の彼の言葉が、永遠と頭の中を巡る。

幼いころから、スカートを履くのを嫌がったという。両親は、母のお腹の中にいるのが女の子だということを知って、私が生まれる前に知り合いから大量に譲り受けたおさがりの女の子用の服を大切に保管していたらしかった。しかし、私が物心ついた頃から急にスカートやレースの付いた服を着るのを拒み始めたので、母はその大量のおさがりをまた知り合いに配るので大変だったという。

小学校の頃はパイレーツ・オブ・カリビアンにハマり、周りがプリキュアTシャツを着ている中で、私は海賊の紋章が印刷されたものばかり着ていたし、中学生の頃は服装を考えることがめんどくさくなってジャージばかり着ていたが、高校生になる頃にはノームコアファッションが好きになり、それも女のそれではなく男の、"無地のワイシャツに黒のチノパン"というような、女が着ると「仕事中ですか?」というような服装を、友達と遊びに行くようなときにもしていたので、よく友達に「ユキと遊んでても、なんか仕事してるみたいな気持ちなるわ〜」と言われていた。

 

好むものが男のものだからといって、私はレズビアンなどではなく、好きになる相手はいつも男の子一択だった。

好きになった男子の好みのタイプが、「髪が長い子」だということを知って髪を伸ばしてみたり、バレンタインに慣れない手つきでチョコを作ってみたりもした。

その努力の甲斐あり、私のことを好きになってくれてお付き合いすることになった子もいた。

でも当然、長く一緒にいるにつれて私の本性が現れてきてしまう。

無理して伸ばした髪は、「うっとしい」と言ってどこかのタイミングで必ず耳が見える長さまで切ってしまうし、彼からのプレゼントで、最初は頑張って付けていた可愛らしいピアスも「なんか、一張羅に合わせづらい」と言って付けなくなった。ちなみに私の“一張羅”とは、背中に「力戦奮闘」と力強い筆文字で書かれたTシャツだった。

そんなこんなで、「最初の印象と違う」と言われて男の子の方から離れていってしまうのだった。

 

そして大人になった現在も、相変わらずそのパターンを繰り返しているのだった。

ある時期までは、彼氏が私の容姿や振る舞いに違和感を感じているということに気づいたとき、「ああ、またやってしまったな」とか「もうちょっと女の子っぽく出来たかな」と後悔していた。しかし、ある一つのきっかけがあって以来、私は私の自分自身に対する考え方を根本的に改めようと思ったのだった。

彼とデートの日、私は例の「力戦奮闘」Tシャツに、下は迷彩柄の短パンを履いて待ち合わせ場所に向かった。

その私の服装を見て彼が困ったような顔をしたので、「え、なんで?」と言うと、彼は「いつか言おうと思っててんけど、そのTシャツ、ダサいで」と言って苦笑した。

私は一番お気に入りの服をディスられて既に少々傷ついていたが、グッとこらえて「は~?何でそんなこと言うねん。めちゃめちゃ渋いやん」と冗談口調で返した。すると、彼はこう言ったのだった。

「せっかくスタイル良いねんし、顔もまあ…中の上ぐらいはあるねんから、ちとは女の子らしくせえよ」

私は一瞬、固まってしまった。

「もっとさ、身体のラインとかも見せたらええねん」

「え、なんで?身体のラインとか別に外で見せる必要ないやん。家の中で、あんたに見せるだけで十分やし」

私はどうにかイラつく気持ちを抑え込みながらも、相手を持ち上げるようなことを言ってみた。

「友達に自慢したいやん。俺の彼女、どや、ええ女やろって」

「ええ女…」

"ええ女"って、何よ。今の私が"悪い女"やとでも言いたいの?

もしくは、私のこと"自分のアクセサリー”やとでも思ってる?

「友達と遊ぶときにそんな男みたいなダッサいTシャツ着てこられたら、さすがに恥ずいわ」

「…」

「そんな格好してたら一生紹介でけへんやん」

「…そんなん、こっちから願い下げじゃ」

「は?」

「さよなら」

それきり、私はそいつの連絡先や写真もすべて削除し、一切連絡を取らなくなった。ちょっと急すぎて申し訳ない気もしたけど、きっとこれでよかったんだ。

彼と別れた後、自分の中で踏ん切りがついたのかもしれない。私は、最初から「誰かの好みに合わせるために自分を取り繕うこと」をとことんしなくなった。

その彼と別れた後も、何人かの異性と付き合った。今までの彼のように“ええ女”であることを求めてくる男性がほとんどだったが、その中で一人、「君みたいな力強い人を、俺はずっと探しててん」と言ってくれた人がいた。

私は最初、どうせまた「お前はボーイッシュとかちゃう、男やねん」と言ってくる類の人種かと思っていたけど、関係が深まっていく中で、私がボクサーパンツを履いてても「それ、めっちゃ渋いなあ。どこで買うたん?」と褒めてくれたし、半分冗談で「夏なったら髪うっとしいから坊主にしよかな」というと、「いいね!なんなら俺のバリカン使う?」と真剣な顔で言ってきたので、爆笑してしまった。

私はその人といると、自分の持って生まれた素質が「おかしいもの」でも「常識はずれなもの」でもなくて、むしろ最高に良いものに思えてくるのだった。そんな人は今まで出会った人の中で初めてだったので、私は彼と真剣にお付き合いすることにした。

また、一度女の子に告白されたことがあった。その子はバイセクシャルで、私のいろんな面を知っているうえで本気で好きになってくれたみたいだった。ただそのときにはもう今の彼がいたし、私は異性愛者なので結局お断りしたのだけど、こんな自分をそこまで思ってくれる人がいるということを知ってとても嬉しかったし、自信もついた。

また、男女問わず友達もたくさんできた。人に合わせるのではなく、自分の価値観に沿って動くようになると、不思議と友達は増えていくのだということを知った。

今は“ええ女”じゃない自分を恥ずかしく思う気持ちは、一ミリたりともない。

男にも女にもなりたくない、私。わかりにくいし面倒くさいと思う人はいるかもしれないけど、それで離れていってしまうならそれまでの縁だったと思って、私はまた前を向いて歩いていくだろう。

鏡に映る“ありのままの自分”と真正面から向き合ってくれる人たちと、これからもたくさん出会いたいから。

調子に乗れるときは乗るんだぜ

私は今、大阪から博多行きのバスの中にいる。

そうだ、ついに自転車の旅を再開するのだ!

この一ヶ月、私は暑い夏を凌ぐために旅を一時中断し、「ワルそうに見えて実際は優しさの塊」ことイベンターの本間さんの家に居候しながら、レコーディングやライブに勤しんだ。

その期間、また色んなことを吸収しながら、様々な面から自分の音楽に対する気持ちが大きくなっていくのを感じた。

 

⚠ここから先、「私って、すごくないですか?」の連続なので、ストレスを感じやすい方は速やかにブログを閉じてください。

 

まず第一に、ライブ前の憂鬱感を克服した。以前の私は、朝起きて学校行く時間になったら急に腹痛を訴えはじめる不登校気味の小学生のごとく、ライブの直前になると「もしかしたらライブで恥をかくんじゃないか?」「新曲で鬼スベりして、ライブの後誰も目を合わせてくれないんじゃないか?」「私のステージになった瞬間、みんな帰りはじめるんじゃないか?」というような全く根拠のない馬鹿げた思考が暴走しはじめて、ずっと楽しみにしていたライブの直前に「やっぱり、家帰りたい」という精神状態になってしまっていたのだ。

これは他の音楽仲間も同じようなことを言っていたので、あんまり珍しいことでもないのだろう。

ほんと何なんですかねー、あの憂鬱感。

でも、そんなこと言ってもやっぱり歌いたいし、作った曲を発表したいし、それによって褒められたいし、「ゆすん最高!」ってヤジ飛ばされたいし、CD買ってほしいし、「サインください!」って言われたいし、もじもじされながら「あの…一緒に写真撮ってもらってもいいですか?」って言われたいし、っていう気持ちが初期に比べてどんどん大きくなってきているなぁと。

良い意味でミュージシャンとしての承認欲求が肥大化してきて、それが自分の活動を推し進める大きなエネルギーになっているように感じる。

 

サバ缶倶楽部のNob-Gさんとの初コラボ!

Nob-Gさんのギターの、ちょい悪オヤジ感が大好き😎

またご一緒したい!

 

もう一つは、ずっと自分の中で悶々としていた一つの感情を曲に消化できたことだ。

これは実際に聞いてくれた人はわかると思うが、特に歌詞が、かなり今までの私らしくない。でも、上手くハマった!と自分では思う。し、ライブ聞いてくれた人もみんなすごく良いと言ってくださって、「これでも大丈夫なんだ!」と、自分の表現の幅が急に広がった気がした。

今までのように、「尖ってないと私らしくない!」と思う必要は全くなかった。尖りたいときは尖ればいいし、丸くなりたいときは丸くなればいいし、捻くれたいときは捻くれたらいいし、真っ直ぐになりたいときは真っ直ぐになれば良いのだなと。

これはかなり、私の中では新境地だった。

自分がこれから作る曲がどんな曲なのか、おそらく一番胸を高鳴らせているのは自分だ。

 

また、沖縄にいる間に作ったCDが完全自作でクオリティがゴミだったので、金武功さんという何でもできちゃう系スーパーハイパーウルトラプロミュージシャン(色々すごすぎて省略したらこうなった)に曲をレコーディングしてもらったのだが、自分の曲に対するこだわりが思ったより強くて、我ながら驚いた。

これは完成したアルバムを聞いてもらってからの種明かしということで、割愛!

 

金ちゃんさんと、ピアノサポートで入ってくださった宏衣さんと、それを撮影している自分(を撮影している本間さん)

 

そして、シンプルにピッチが合うようになったことだ。

これは自分では気付かなかったのだけれど、SHOJIMARUでライブしたときに島崎智子さんが「レコーディングのおかげなのか、歌上手くなってる!しかものびのび歌ってて、めっちゃ良い!」と褒めてくださった。

島崎智子に褒められてる私は、たぶん天才です。みんなで崇め奉って、銅像とか立てちゃってもいいですよ?

おっといかんいかん、これは刺客を送られて撲殺されるレベルでイラつかれる可能性がある。これぐらいにしておこう。

 

今西太一さんと島崎智子さんと

前代未聞、カオスすぎるフィナーレ!

 

というかんじで、ミュージシャンとしても人間としてもまだまだ過渡期である私だが、今は明白に自分が前に進んでいるという感覚がある。

「いるよ」という曲の中で歌っているように、前に進むことだけが美しいことだとは到底思わないが、少なくとも自分の前進を実感できている今、それに逆行する必要は全くなく、波に身を委ねてみてもいいんじゃないか。

つまり、調子に乗れるときは乗るんだぜ!(タイトル回収👏)

そうでなくてもいつかまた、思うように前に進めないときや、泥沼に落ち込んで身動きが取れなくなるようなときが必ずくるだろうから。

せめてそのときが来るまでは、私はペダルを踏み続ける。

(締め方かっこよ!)

 

ということで、明日は沖縄で出会った博多の方と一緒に方生会(福岡の筥崎宮で毎年9/12から9/18まで開催される祭り)に参加して、明後日からまた自転車漕ぐぞー!

エフエムたつごうで話したことの訂正点

①「島崎智子さんの曲はパンクだ」と言っている

→そうではなく、「パンクを含めたどんな型にもハマっていない」ということが言いたかった

→後にご本人と話したときに、「型にハマらないことにさえもハマっていない」もしくは「色んな型にハマったり、ハマらなかったりしている」という表現が正しいと思った

※ニューアルバム『西荻窪の家』を聞いてみて!


②「自分はポップスがやりたい」と言っている

→自分ではポップスだと思ってたけど、むしろフォークロックじゃない?と言われた

→最近は、ポップスにせよフォークロックにせよ「何かの型にハマろうとしている自分」がかなり窮屈に思えてきた

→これから自分がどんなSSWになっていくのか、どんな曲が生まれてくるのかは自分でも未知数!

 

結婚

同級生の結婚ラッシュが起こっている。

近い友達が、5人連続で結婚した。学生の頃は、結婚なんてまだまだ遠い未来のできごとだと思っていたが、その未来がとうとうやって来たのだ。

現在の私は、結婚のけの字もない状況にいる。

まず、恋人がいない。次に、定住生活ができない。そしておそらく、高確率で、結婚に向いていない。この時点でほぼほぼ諦めてはいるが、どうしても幼少期から思い描いていた“幸せな家庭を築いている自分”像にまだ縛られてしまっている。しかしこいつを一刻も早く脳内から追放することが出来なければ、結婚して一週間後に離婚、などという悲惨すぎる結果を招きかねない。

そこで、自分が結婚したらどうなるかということを徹底的に予測してみようと思う。

これには、わずかな油断もあってはならない。なぜなら、少しでも「あれ、結婚楽しいんじゃない?」というシチュエーションが思い浮かんでしまったがために、あっやっぱり結婚しよう、結婚、一週間後に離婚、になりかねないからだ。否、それもそれで人生経験としては面白い気もするが、おばあちゃんに「しっかりせえ!」と怒られることはできるだけ避けたい。かといって一生独身でも同じことを言われるんじゃないか。まあ、それは一旦置いておこう。

まず私は、共感能力が乏しい。旦那が仕事で成果を上げて帰ってきて、「結果出してきたよ!」と報告されたところで、「あ、そ」で終わる。なぜなら私は、“不幸な人間が幸せになる”ことには大いに興味があるが、“幸せな人間がもっと幸せになる”ことに関して、まじで関心がないからだ。そういうと弱者の味方みたいなかんじに聞こえるが、底辺が下剋上していく様にこの上ないロマンを感じるのだ。だから『ショーシャンクの空に』や『ジャンゴ 繋がれざる者』をもう7,8回見てその度にクライマックスの復讐のシーンで「ブラボー!」と叫んで指笛を鳴らしているのだ。もしショーシャンクのアンディが投獄された直後から隠し持った銃をぶっ放しながら「ちょろいぜ!」と言ってスピーディーに脱獄していたのなら、私はそれを8回も見ていない。

また、私は他人の癒しになれない。仕事に疲れた旦那が帰ってきても、私は“竜が如く”で最強武器を手に入れるためにひたすら雑魚を倒したりクエストに挑んでいたりで、おそらく「おかえり」すら言わないだろう。「料理は?」と聞かれたら、「あっはいはい、今作るからちょっと待っててねー!」と気前のいい返事をして、30秒でTKGを作るだろう。そしてそれに文句を言われたら、「雑魚倒し中断してまで作ったんだけど!?」と逆ギレして結婚生活は終わるに違いない。

また、私は部屋の掃除ができない。普通親から「部屋片づけなさい!」と言われるのは、せいぜい中学生までだろう。しかし25歳になった私は、未だに実家に寄生しながら、未だにそれを言われ続けている。そして結局やらないで、母親に片づけさせている。我ながらクズだ。

こんな自己中ずぼら女と、どうして他人が一つ屋根の下で共に生活出来よう。

しかし今まで述べたのは、私が旦那に対して“してあげない”ことだった。逆に“してしまう”ようなことがある。

私はこう見えてかなりの恋愛体質だ。一度のめり込んだ人間に対しては、相手が明らかに引いているというのがわかるまでアプローチしてしまう。例えば過去にあったこととして、相手があくまで優しく「こういうとこ直してほしいんだけど…」と自分の欠点を指摘してきたとき、「もしこれを直せなかったら、私のこと嫌いになる?」と言って毎回泣いていた。

どうだ、すこぶる面倒くさいだろう。私とは死んでも結婚したくなくなっただろう。

しかしこれがなかなか治らない。これは何かに似ていると思ったら、曲作りだった。一つの曲を作っている期間、私は朝から晩までその曲のことを考えている。そんなときは大体仕事の合間に急に奇跡のメロディが浮かんで、「ちょっとトイレ行ってきまーす!」と言ってトイレで録音する。良いメロディーがなかなか浮かんでこないとき、私は「もしかしたら一生良い曲が書けないんじゃないか?」と思って、一旦人生に絶望する。作曲の出来具合に、生活を丸ごと飲み込まれてしまうのだ。

ちなみに私はおそらく恋愛の曲は書かない。綿部ハシコとかaiko(他にも書こうとしたけどまじでこの二名しか思い浮かばん)が全部代弁してくれているからだ。自分がわざわざ恋愛に関しての新しい表現を生み出す必要がないし、物理的に無理だ。

また、もう一つ結婚できない理由は、メンタルが終わってるからだ。寝てるときに、妻が急に「え、まって、なんで生きてるかわからんねんけど!ちょっと生きてる意味教えて!!」と発狂しだしたら普通にめっちゃ嫌だろう。

そんなかんじで、私はことごとく結婚に向かないたちなのだ。今回これを言語化してみたことで、より一層自分にとっての結婚は無理ゲーであることを実感した。

理想に引っ張られず、身の丈に合った人生を歩んでいこう。

 

現在、沖永良部島という鹿児島県なのに文化は沖縄という謎の島にいる。

明日はいろいろあるので楽しみだ!

おやすみなさい。

3日間のできごと

3日前から喉が尋常じゃなく痛みだしたので病院に行った。

最初は病院Aに行った。受付で熱を測ると、平熱だった。しかし混雑していたため、2時間待たされた。その間にだんだん熱っぽくなってきて、やっと診察室に通されたかと思うと、そこでまた熱を測られ、案の定37.3度あり、「熱あるやん」と言われ、熱あるやつ専用診察室みたいなところに連れていかれた。そこでPCR検査をして、また1時間ほど待たされた。

そして1時間後、コロナではないということがわかり、ようやく診察に入った。

そこで、お医者さんから衝撃的な言葉を聞かされた。

「なんか扁桃腺めっちゃ腫れてんねんけど、ここでは専門外やから、病院Bに紹介状書いたのでそっち行ってくださいね~」

え、今から?3時間の待機を経て?

私は心底驚いたが、とりあえず早く行って早く薬もらって早く帰りたかったので速攻で待合室に向かった。

医者が病院Bに連絡してくれている間、待合室で待っていたら知り合いの看護師さんが二人やってきた。知り合いの看護師さんが二人いるってどうゆうこと?という感じなのだが、この病院はちょっと特殊で、小学校時代の友達や先輩後輩のお母さんだらけなのだ。

「ゆすんお母さんにそっくりやな~!昔はお父さんに似てたのに。お母さんに似てよかったな~」

それは心底思う。

「ゆすん背大きなったな~!ゆすんの記憶、小学校で止まってるからびっくりしたわ」

この年になって「大きくなった」と言われることはあまりない。

「病院Bの場所わかる?あのな、駅まで行くやろ。ほんだらな、ガストあるやん。そこの角をな…」

あの、看護師さん。ありがたいのですが、今の時代はグーグルマップという便利なものがあるのをご存じですか。

そうこうしてるうちに、お医者さんが紹介状を持ってきてくれた。

お礼をして自転車で病院Bに向かおうとすると、「ゆすん、病院の車出してくれるって言うてるけど、どうする?病気やねんから、自転車で行くより車の方がええと思うよ?乗っていき!」

私は、「帰りはどうしたらいいんですか」という質問をする隙も与えられず、車に乗せられることになった。

送迎の車が来て、乗るともう一人女性がいた。

その人も病院Aから病院Bへ島流しされる者の一人らしい。

車の中でその女性はめっちゃ喋っていた。

「今日入院や言われて、さっき旦那に電話してな、なんか病院Bに入院せなあかんらしいわ~言うたらな、ほうか、ほなのんびりしてらっしゃい言うねん。もっとなんかある思うねんな〜かける言葉」

という壊滅的にオチのない話を15分ほどまくし立てていた。

病院Bについて、招待状を渡したら速攻で診察室に向かった。

診断結果は、扁桃周囲膿瘍という病気だった。原因はよくわからないが、おそらく短期間にお酒を飲みすぎたというのが一つあるんじゃないかと思う。

腫れ方が普通じゃないので、夜寝てるときに呼吸困難になる恐れがあるということで本当はすぐに入院した方がいいと言われたが、入院費いくらですか?とお金無いですアピールすると、とりあえずCT検査してみて決めましょうということになった。

採血をした後、CTスキャンを初めて体験した。

医療ドラマで良く出てくる、白くて丸いやつに入っていく、あれだ。私はちょっとうきうきして、ディズニーのアトラクションに乗ってるみたいなテンションでそれを体験した。

一回丸いやつに入って出てきたら、看護師さんが「ちょっと点滴してもう一回やりますね~」と言ってきた。なんで点滴してもう一回やるのかよくわからなかったが、私は左腕を伸ばした。私は注射が、めちゃくちゃ苦手だ。いつも思うのだが、注射針を刺される前の気持ちは、バンジージャンプの直前の気持ちとすごく似ている。

「あっ、ちょっまって!まだ、心の準備が、あっああああああ!!!!!!」

というかんじだ。できるだけやりたくない。しかし看護師さんは5分ぐらい私の腕を触り続けて、ようやく刺してくれたかと思うと、「ごめんなさい、ちょっと一回抜きますね」と言って注射針を抜いた。何ということだ!抜くのはいいが、薬入れてないじゃないか!ということは…

「もう一回ちくっとしますね~」

おい、嘘だと言ってくれ!

私はこの時点でちょっと発狂しかかっていた。しかし、もう一回だけだと思って耐えた。

ブスッ…

「ふう…」

私は息をついた。すると、看護師さんは言った。

「本当にごめんなさいもう一回抜きますね!」

マジかよ!!!私はいよいよ絶望の淵にいた。

2回失敗した看護師さんが、もう一人の看護師さんを呼んできた。

その看護師さんは、私の腕を見て、「あーこれムズいな」と言った。

そうか、私の腕は、難しいのか。なんか恥ずかしいじゃないか。

するともう一人、おじいちゃん看護師がやってきた。若者2人よりはなんとなく安心感があった。おじいちゃんは私の右手のどっかを指さして「はい、これ第一候補」と言った。

いや、もう他に候補探さなくていいです、早くやってください。というかんじだ。

第三候補ぐらいまで探したあと、ようやく定まったらしい。本日最後の針刺しの刑が無事終わった。一日で4回腕に針をぶっ刺されたのは初めてだ。

ここまでくるとなぜか達成感があった。やっとバンジージャンプを飛べたというかんじだ。

点滴が終わった後、私はまたCTスキャンに通された。

CT検査の結果、膿が少しあって危ないので、木曜日まで薬飲んで良くならかったら即入院しましょうということになった。

家に帰ろうとしたとき、私は自転車が病院Aにあることを思い出した。

帰りの送迎無いんやったら、絶対自転車で行った方がよかったやん!

私はふらふらの身体で30分歩いて家まで帰った。

朝10時半に家を出て、帰ったら18時半になっていた。一日が病院で潰れた。

テーブルを見ると、きな粉のおはぎがあった。

普通、扁桃周囲膿瘍になった人は喉の激痛により固形の食べ物を食べることすらままならないというが、このときの私の「おはぎが食べたい」という気持ちは、喉の痛みを優位に超えたらしい。嚥下するたびに身体をうねらせながら悶える私の姿を見て、妹は「いや、おかゆとか食べたらいいやん…」とドン引きしていた。その後母が帰宅し、おはぎを食べている私を見て「あんた、入院しなあかんレベルちゃうかったん」と呆れかえっていた。

そのとき、私は本当に食べることが好きなのだろうと思ったが、そんなことを考えたことをのちに後悔することになる。

その夜、私は余裕をこいてネットフリックスで「ジョーズ」を見ていた。

サメの専門家みたいな人が船の下にもぐりこんで、破壊された部分からサメに襲われて死んだ人間の肥大化した顔が出てきたときに、私は「ぎゃあああああ!!!!」と叫んでしまった。そのときから、私の喉は急激に痛み出したのだ。私は慌てて痛み止めを飲んだが、なかなか効かなくてしばらく悶え苦しんだ。完全に映画のチョイスをミスってしまった。死ぬほど痛くて、涙が出てきた。

結局私は5時間ごとに痛み止めを飲み、唾が飲み込めないので何度も洗面所まで行き、ベッドの上ではひたすら天井を眺めながら久石譲のピアノリラクゼーションを聞いて朝を迎えた。

病気の苦しみって、こうなんだなということをまざまざと思い知った。

その後はしっかり薬を飲んで、順調にのどの痛みも引いていった。

今日また病院に行ったら、また採血があった。この数日で何回針刺されるの。

結果は、まだ数値は良くないけど、腫れは引いてるので入院しないで大丈夫ですとのこと。

会計をして、家に帰ろうと自転車のペダルを踏み出した。

そのとき、スマホがポケットから滑り落ちた。慌てて拾い起動ボタンを押したが、画面が付かなかった。2か月前に買い換えたのに。その前のギャラクシーは半年で壊れたのに。お金ないよ。悲しいよ。

なんて日だ!

この数日、私はたくさん絶望した。

でももう一つ思ったことは、健康な状態って本当に有難いことなんだなあと。

唾を飲み込むことがこんなに苦しかったことは未だかつてなかったし、今まで何も考えず無意識でゴクンとしていたのだと思うと、不思議な気持ちになる。

喉が痛いとか、歯が痛いとか、お腹が痛いとか、体のどこかに意識を向けなくても、身体の外のことに集中して何かを楽しめるということは、幸せなんだろう。

ものすごく苦しかったけど、このことは一生忘れないでおこう。

脊髄反射

布団の中で目が覚めて

今見ていた夢を思い浮かべてみる

夢は本能的な欲望の表れだと

フロイトが言っているけれど

本当は全然そうじゃなくて

ゴミ箱の中のようなものかもしれない

 

今日は何もやることがなくて

生きのばすため散歩に行く

歩きながら小石を蹴ったり

遠くの国で起きているらしい

戦争の話をちょっと思い出して

家についたから忘れてみる

 

そういえば いつか

全部消えてなくなるらしい

お爺ちゃんもお婆ちゃんも

お母さんもお父さんも

私も妹も弟もみんな

死んで燃えて灰になるらしい

 

間違いなく訪れるその未来が

ちょうどあの遠くの国だけで

起こっている出来事のように

私たちはそうじゃないというていで

息を吸っている 吐いている

テーブルでごはんを食べている

 

ごはんをずっと食べないなんて

私にはできないけれど

いつもほんのちょっとだけ

生まれてきたくなかったし

ごはんを食べた分だけ

元気になるなんてことはない

 

動物みたいに脊髄反射だけで

人生が始まり終わっていたのなら

そんなことも考えずに済んだのだろう