チューニング(2)

中学二年生の頃だった。

当時私には、好きな男の子がいた。誰が見ても美男子だと認めざるを得ないような顔に、とても活発な性格で、試験点数は毎回クラスで一番、サッカー部ではキャプテンを務めるという、絵に描いたような優等生だった。目立たない女子グループの中にいた私にとって、一軍女子たちに囲まれてちやほやされているような彼は、一生足元にも及ばないような雲の上の存在だった。私なんかが彼の目に止まるはずがない。そんなことは知っていたけど、私の頭の中は常に彼のことでいっぱいだった。

ある日、国語の授業で詩を書いて発表するという機会があった。

そのとき私は、彼に対する思いのたけを詩にしたのだった。

その詩は、このようなものだった。

 

「もしも彼が」

もしも彼が鳥だったなら

私はそよ風になって彼の羽を乗せるだろう

もしも彼が新芽だったなら

私は太陽になって彼に光を注ぐだろう

もしも彼がスマートフォンだったなら

私はスマホカバーになって彼を守るだろう

彼がこの世の何であっても

私は彼のそばで彼を支えていたい

……

 

今思えば、いかにも「中2病」と呼ばれるようなものだ。傍から見れば相当痛々しかっただろうと、自分でも思う。でもそのときの私は、自分がどれだけ彼のことを思っているのかを本人に伝えたいという一心だった。

私が彼のことを好きだったのはクラス全員が知っていたので、詩の中の「彼」が誰なのか、皆知っていたのだった。

私が詩を読んでいる間、クスクスという笑い声や、「うわー、きついきつい」というような悪意のこもった言葉が所々から聞こえてきた。でも、そんなの構わなかった。クラスの子たちに笑われたって、彼に思いが届きさえすればいい。そう思って、私は最後まで詩を読んだ。

私が詩を詠み終わると、一瞬の沈黙があり、詩の中の主人公である彼が一言呟いた。そしてその一言によって、クラス中が爆笑の渦に包まれたのだった。

「上手いこと表現したとでも思ってるの?」

皆に同意を求めるように周りを見て、にやにや笑いながらそう言った彼の顔を見て、私は目の前が真っ白になった。私は自分が上手いこと表現した、と思っていた。その上、彼にだけは思いが伝わったはずだ、そう信じていた。でも、違った。思いが伝わるどころか、嘲笑われ、貶され、踏みにじられたのだ。

私は顔を覆い隠して、そのまま教室を出て行ってしまった。

「成宮!」

後ろから先生が私を呼ぶ声が聞こえた。私は先生の声を無視してそのまま屋上まで駆け上がり、一人で泣いた。

それ以降、私は彼を思うことをやめた。といっても、実際には無意識のうちに彼を目で追ってしまっていたり、彼の声に反応してしまうようなことが度々あったが、そんな情けない自分を目の当たりにするのが苦痛で仕方なかった。誰かを好きになる度に思うことだが、一度好きになった相手というのは、その後の私の人生を小さな檻の中に閉じ込めてしまうみたいだ。恋をしているときの私はまるで、一度シャブに手を出してしまったシャブ中のようだった。薬物依存症者が薬物に手を出す前には戻れないように、私は彼を好きになる前の私には戻れないのだ。

学年が上がり、彼とは違うクラスになって顔を見る機会も少なくなったことで、私はようやく彼のことを、少しづつではあるが忘れていくことができた。

しかし例え彼を忘れても、彼に言われた例の言葉は私の脳裏に深く刻み込まれたままだった。

「上手いこと言ったとでも思ってるの?」

あの出来事以来、私は徹底的に「まともな人」になることを心がけるようになった。自分がどういうしたいかではなく、常に「他人がどう思うか」ということばかり考えるようになった。

作文を書くときも、決して自分の思いなど込めず、その代わりに万人に理解されるような内容を、万人に理解されるような言葉で書くようになった。そこには「自己表現」などというものは一ミリも含まれていなかった。そんなことも知らないで、先生には「成宮は本当に上手い文章を書くな」とよく褒められた。それが自己表現か否かはさておいて、私は文章を書くのが得意だった。私は先生に褒められて、嬉しかった。もっと褒めてほしかった。あの過去の出来事が完全に打ち消されるほど、「上手い」という言葉でもっともっと褒めてほしかった。

そうしていつしか私は、常識から一ミリもはみ出さない「まともな人」になっていった。

高校2年生のとき、私は友達に誘われてバンドを組んだ。

私はギターボーカルと作詞作曲を担当した。作詞能力はもともと高かったし、洗練されたコード進行に綺麗なメロディラインを乗せることもできて、さらにそれにふさわしい歌唱力も兼ね備えていた私は、バンド内を超えて、学校中から羨望のまなざしで見られるようになった。私にとって、自分が「まとも」であり、そのうえ「レベルの高い」人間として認められる手段として、音楽は欠かせないものになっていった。

高校を卒業し、大学を卒業し、気付けば社会人になっても音楽を続けていた。

社会人になっても音楽を続けている人たちというのは、きっと誰よりも自分の表現を愛している人たちなんだと思う。しかし、私は例外だった。

私は「この人は、きっとこうだろう」という客の期待を決して裏切らない演奏をすることを、何よりも心掛けた。はじめはそれでよかった。みんな「すごい!」「さすが!」「上手!」と褒めてくれたし、私はそれで満足だった。でも、最初に褒めてくれていた人たちが、だんだん私の演奏について感想を伝えてくれないようになった。私が「今日はどうでしたか?」と聞いても、「うん、上手だったよ」と言って、それ以上話が続かなかった。

私は焦り始めた。今の表現ではだめだ。でも、どうすればいいのかさっぱりわからなかった。私はあまりに長いこと、「無難であること」に忠実に生きてきてしまったのだ。

そんな私の悩みを見抜いてきたのが、LEGENDのマスター・マサさんだった。

彼は私の演奏に容赦なくダメ出ししてきた。

「面白くない」「心が動かない」そんな言葉を、平気で投げかけてきた。

それも、ライブ中にヤジを飛ばす形で言われることさえあった。その度に私はすごく恥ずかしかったし、腹も立ったけど、心のどこかで少し安心するのだった。

本当はわかっていた。「まともな表現」なんて、誰の心も動かさないこと。

 

ただ問題だったのが、それを知ったうえで、私は依然として変われずにいたということだった。自分の感性で表現をしようとすると、彼のあの言葉が蘇ってくる。

「上手いこと表現したとでも思ってるの?」

その言葉は、呪いのように私を縛り付けた。

もともと自分の中にあるはずの感性や情熱といったものを、その言葉によって根こそぎ剥ぎ取られてしまうようだった。

そして、このトラウマ的な「緊張」を解くために私は何をしたらいいのかさっぱりわからず、暗中模索の日々を送っていた。

そしてそんなときに、マサさんが私の対バン相手に選んだのが、あの"チューニングをしない男"だった。