『沖縄』

今私は、沖縄にいる。

今回を除き、今まで沖縄には3回来たことがある。

一度は一人で、大学時代の研究テーマであった沖縄文学の本場を見るため。

二度目は友だちと、辺野古で建設中の米軍基地とそれに対する座り込み闘争の現場を見るため。

三度目は、妹と旅行で。

それぞれそのときに抱いた沖縄に対する視座と感覚は異なり、今回もまた違った。

まだ沖縄について何も知らないうちに抱いた、皆朗らかで優しいというイメージ。

その後少し勉強してから解った、戦争とその後の諸問題が根を下ろした暗く恐ろしいイメージ。

今回はどんなイメージを抱いたか?

今までは、それぞれ文学作品や、社会問題、観光がまず目的にあったことで、実際に沖縄に住む人たちの顔がかすれて見えていたということをまず感じた。


例えば、昨日の夜に公園で練習していたら、一人のアフリカ系アメリカ人がやってきた。

彼はもう引退したが、過去にアメリカ空軍に所属していたと言った。

私は最初、少し怖かった。公園に電灯が少なく暗かったこともあり、李相日監督の『怒り』という映画中のワンシーンが脳裏をよぎった。

沖縄では、米軍による沖縄市民に対する暴行事件が後を絶たない。実際大学時代に読み込んだ目取真俊さんという芥川賞を取った沖縄の作家がいるのだが、彼の作品の多くもまた米軍による性的暴行事件をテーマにしていて、私にはその印象が根強くある。

事実は事実として、目の前にいる個人を「米軍=暴力的」というフィルターを通して見てしまうのは、いわゆるステレオタイプだ。しかし彼と話すうちに、その固定観念は少しずつ溶けていく。


彼はすごくシャイだった。「僕は笑顔が素敵じゃないんよ」とか言ってマスクを取るのをひどく恥ずかしがっていた。別に取りたくないなら取らなきゃいいやん、と思ったが、私がマスクを取ったから自分も取らないといけないという、よくわからない道義心と闘っているようだった。


彼は韓国映画が好きで、韓国の俳優の豊かな表情に憧れを抱いているフシがあった。「僕は笑ったらニーッ!って口を横に広げるだけやけど、韓国の俳優は色んな感情を目や眉毛や口や色んな部分を使って表現できるねん。僕はそれができひんから恥ずかしいねん!」みたいなことを言ってて、いやそれはプロやからやん、別にあなたがそれをできなくて恥ずかしがる必要は全くないじゃない、と言ったけど、私の英語が拙くて多分あんまり通じてないようだった。


また、北朝鮮の人たちはとても強くて頼もしい、機会があれば北朝鮮にも行ってみたい、というようなことも言っていた。米軍出身で、敵国民に対してそういう視点があるというのがまず驚きだったのだが、話すうちに彼は自身が過去に所属していた米軍やアメリカという国自体に対して、ある面で怒りを抱いているということがわかってきた。

アメリカは強がりで威張ってるけど、ホンマはめっちゃ脆くて弱い国やねん。やから平気で他国の人を殺したりするねんで」

 


酎ハイを飲んでいてほろ酔い気分だった彼は、その後いつもやってる路上ライブの場所まで一緒に来てくれて、ブルースのノリを教えてくれたりした。

よって、「黒人はブルースが好き」というステレオタイプは、まだ壊せなかった。


今回、私が沖縄に訪れた理由は、旅だ。

「人が旅をするのは、到着するためではない。それは旅が楽しいからなのだ」

これはゲーテの言葉だ。

今まで、それぞれどこかに到着するための目的を持って来たときの「沖縄」と、今回、特別な目的を持たず旅路として訪れた『沖縄』。

同じ場所だけれど、年月を経て起こった私の内面の変化が、私にとっての沖縄を変えたのだろう。

それが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、私は今回の『沖縄』が、とても好きだ。