宮崎・日向

宮崎の日向岬グリーンパークというところで弾き語りを練習しようと思って自転車を止めると、野外ステージの上でギターでピアノマンを熱唱している人がいたので、思わず声をかけてしまった。f:id:yusunchoe:20211107130337j:image

時々ストレス発散で、ここに来て歌っているらしい。そのときは少し会話を交わしたくらいで、私も1時間くらい練習して、今日は宮崎駅の方まで行ってしまおうと思い出発した。

少し走ったところで、道の駅の前で「おーい!」という声が聞こえ、ふとそちらに目をやると、さっき野外ステージで歌っていた人だった。

「今から雨降るらしいけど、大丈夫?宮崎駅までってだいぶ遠いよ。僕もそっち方向だから車に自転車乗せていく?」

「お願いします!」

高知辺りからお気付きだと思うが、この旅はもはや、自転車旅ではない(笑)


その人は江川さんといった。

お仕事は土木の設計士で、専門は河川砂防を防ぐための設計らしい。

江川さんは技術士という国家資格を持っていて、それは建設業界の3%しか持っていないというので、相当のエリートと見られた。

技術士は何がすごいのかというと、例えば「これをこうすればいいよね」という当たり前の設計を普通の技術者がするとして、技術士は「こっちを取ればあっちがだめだよね」というトレードオフの状況になったときに、一番最適最良案を見つけるという仕事らしい。

最近は女性の技術士が増えてきてるからゆすんさんもどうですか、と勧められたが、そんな頭を使う仕事は私には到底できませんと答えた。すると江川さんは、技術士をする上で一番大切なのは、頭がいいか悪いかじゃなく、意思決定力やコントロール力、チームを動かす力だと言った。私は、それならなおさら無理だと思った。私はチームを率いるどころか、チームの中で行動することすら昔から苦手なのだ。


土木設計も昔は紙に設計図を書いていたのだけど、今はITが発達してすべてCADというソフトで行うし、ブルドーザーを遠隔操作することだってできる。一昔前まで3K(きつい、汚い、危険)って言われたけど、今は全然そんなんじゃない。なのに、人員が少なくて困っているという。

3Kというと、私もやっていた介護の仕事も含まれると思うが、将来介護ロボットができて、介護士の仕事を手伝ってくれる、なんてことがあるのだろうか。それもそれで怖い気もするし拒否反応を示す人も多いと思うが、介護士が腰を痛めてしまうような場面では、やっぱりロボットが代わりにやってくれたら助かるだろうし、人手不足の問題も改善されるんだろうな。


江川さんには、ものすごい目標があった。

それは、何があっても120歳まで、あわよくば150歳まで生きたいというものだ。

でもただ生きるといっても寝たきりじゃつまらないから、最後まで健康的に生きて死ぬときはぽっくり死にたいし、その準備を既に始めてるという。規則正しい生活を送ること、お酒飲まないこと、ウォーキングを中心に運動をすること、その他健康管理を若い頃からやってるのだと。

「でも、飲んだくれて早死コースの人もそれはそれでいいよね。やりたいことやって死ぬんだし」と江川さんは言った。めっちゃ笑った。


どういう話の流れだったか忘れたが、私が「歳を取っていくと、責任感に縛られるようになっていきますか?」という質問をした。

江川さんは、「そんなことない。何故なら僕は、宮崎に家を買って、妻も子どももいるという状況で、アメリカに移住したいと考えてるんだ」と言った。

150歳まで生きるための準備をコツコツしているのと同じように、海外移住のために英語を勉強していて、近いうちには大分の立命館アジア太平洋大学の短期プログラムを受けたい、と。


自分のお父さんくらいの歳の人が、こんなにキラキラした目で夢を語っているのを見ると、つくづく、あゝ私もこうなりたいなと思う。

今だから色んなことにチャレンジしてみようと思えるが、何歳までこの好奇心や行動力を持ち続けられるのだろう。

精神的に落ち着いて大人になることも大切だけど、私は、40代、50代、60代と歳を重ねるごとに、もっともっと活力に溢れていく、そんな生き方ができたらいいのになあと思う。


老害」という言葉がある。下品な言葉だな、もっと言い方があるのにな、と思うと同時に、歳を取る毎に出てきてしまう「害」があるのも確かだ。だからこそ、生きていると誰もが自然に持たざるを得なくなる「害」と、どう闘い、「益」に変えることができるのか。

私は20代だから、まだその葛藤がそんなに無い。でもこれからきっと「自分も歳を取ってしまったのだな」と感じるような自分自身の考え方だったり行動が出てくるのだろうなと思うと、できるだけそれに抗えるように、江川さんのような人を見てたくさん学ぼう。


「また宮崎に来たときは連絡してね。そのときはもうアメリカにいるかもしれないけど、そしたらごめんね」

江川さんが150歳で亡くなるまでに、たくさんの夢をすべて叶えられたらいいなと思った。