大分・延岡

その日は延岡駅周辺まで行こうと、道の駅北川はゆまというところでひと休みしていると、声をかけてくれた人がいた。

晩ごはんは食べたかと聞かれて、「食べましたけど、まだ食べれます!」と言うと、「チキン南蛮の店連れて行ったるよ!」と、「おぐら」というお店に連れて行ってもらった。

チキン南蛮は、今までの人生で食べたチキン南蛮の中で一番美味しかった!


f:id:yusunchoe:20211103192832j:imageその人は神野さんと言い、西日本にチェーン店をいくつも持つラーメン屋の社長さんだった。

なぜラーメン屋を始めたのですかと聞くと、昔の記憶をたどりながら話してくれた。

 

神野さんはもともと車の整備士だったのだが、土日はラーメン屋さんのお手伝いをしてて、そこの夫婦が自分の子どものように可愛がってくれた。その夫婦には子供がいなかったので「養子に来い」と言われて、神野さんは断ったが、その代わりに車で成功したらラーメン屋を継ぎますと約束した。その後、約束通り車で成功したのだったが、その間にご夫婦は亡くなってしまい、それでも約束を守ろうとラーメン屋を開いたのだという。

 

聞いた話を思い出しながら書いたので、自分の中で勝手に盛っちゃってる可能性もあるが、それにしてもなんていい話。

でもその裏にはやっぱりたくさんの苦労があって、ラーメン屋を開くために福岡で修行していた頃は、初任給が安すぎて食っていけないということで、近所の畑に忍び込んであけびを取って食べたり、スイカ泥棒もしたらしい。

私の祖父母も戦争の時代に同じような経験をしたと話してくれたことがあり、それを思い出して胸が痛かった。

 

「チェーン店を持とうと思った理由は何故ですか?」と質問すると、「僕はね、前しか見ないの。ハングリー精神かな」と言った。

私は、自分と照らし合わせた。私には、ハングリー精神というものがあるのだろうか。物理的には比較的満たされた環境で育ったので、特に大きな目標もなくあっちに行ったりこっちに行ったりしながら生きてきたし、今だってそうだ。悲しいことや辛いこともあるけど、そのときの衝動でいくつかの曲にしてしまえば、もうそれで満足してしまったりする。それは全く悪いことではないと思うのだけれど、何かを成し遂げようと強い意志を持って前に突き進む人を見ると、やっぱり自分よりもキラキラ輝いて見えてしまう。

 

「選挙は行ったの?」と神野さんからの質問に「在日なんで、選挙権無いんです」と言うと、「なんだそれは。だから駄目なんだ、日本は」と本気で怒ってくれた。

正直に言うと、私は日本の政治に参加してる感覚がほぼほぼ無いので、選挙権あるとか無いとかどうでもいい派(とか言ったら大人たちに怒られるんだろうな)なのだが、それでもなんだか嬉しかった。

 

「しかし、最近はこういう出会いも交流も少なくなったね」

神野さんがため息混じりに言った。

近所付き合いや、助け合いの風潮が減った。みんなスマホを見るから、目を見て話すことも少なくなった。

それは私世代でも感じることだった。子どもの頃は、なんというか、もっと社会がのんびりしていて、時間の流れがゆっくりで、今みたいにせかせかしていなかったような気がする。

地域はどんどん過疎化していくし、ここで歳を取ることが不安になるんだ。そんな心境を話してくれて、私は少しやるせない気持ちになった。

時代の流れは変えられないし、これからさらに色んなことが変わってくるだろう。

その中で良くなることももちろんあるけれど、神野さんが話してくれたように、消えていく"良いもの"もたくさんあるように思える。

それらをすべて残すことは、できない。諸行無常の理には、誰も抗えない。だけど、自分の記憶の中にある"良いもの"を、自分ができる範囲で、自分に取れる手段で、少しでも残していけたらいいなと思う。

そんなことを思わせてくれた、延岡での出会いだった。