ボサ猫(3)

私はシロと連絡を取り合い、家を訪ねた。
 
シロの家もまたボス猫領の中にあったが、不思議とそこにはボス猫の匂いはしてこなかった。その代わりに、ただただシロの好物であるカマンベールチーズの香りが淡く漂っていた。
 
「シロ」
シロは私の声を聞いて体をビクッと震わせた。
「なんだ、来てたんだ。言ってよ」
シロは相変わらず臆病なやつだった。
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🍻
「シロはさ、なんで私のことをそんなに好きだったの?」
「だった、っていうか、今も好きだよ。ただ今はボサも仕事で忙しいから...付きまとったら逆に迷惑でしょ?」
「別にそんなことないけど...」
「私はね、ボサみたいに強い猫になりたかったの。初めて会った時のこと、覚えてる?大学に入って、一年生の猫間社会学の授業が一緒だったでしょ。私は短期学部の毛繕い学科だったから、あなたと重なっていたのはその授業だけだった。
その授業では、みんな一箇所に固まって座って、授業中も雑談に忙しくて。でもあなたは一人だけ教室の隅っこに座って、一生懸命ノートを取っていたでしょう。授業が終わったら、みんなの雑談がうるさくて聞こえなかった部分を聞くために、先生の部屋を訪ねていたのも知ってたわ。真面目で、誠実で、それでもって周りに合わせようなんて微塵も思っていない、そんなあなたに私は惚れ込んだの。この猫に一生ついて行こうって、思った。
そしてあなたが主席で卒業して優秀な心理カウンセラーになったのも、すごく誇らしかった」
私は少し顔を赤らめてしまった。
「...まあ、そのことはいいや。で、なんでそんなに人間が嫌いなの?」
私がそう言うと、それまでキラキラしていたシロの目から急に輝きが失せた。
私は慌てて付け足した。
「あ、いや、無理して話さなくてもいいんだけど、ただこのまま死ぬまでずっと人間を避け続けるのも大変だろうし、なんなら克服した方がいいし、そのお手伝いを私が...」
「いや、言うよ」
そういったシロの声には、何か決意めいたものが感じられた。
「私が人間を生理的に受け付けなくなったのは、奴らが来てからなの」
「奴らって?」
「奴らよ。保護猫団体」
「ああ」
 
保護猫団体とは、最近私たちの楽園にやってくるようになった輩だ。
彼等が介入してくる前までは、一人の善意あるおばあさんが私たちの餌を全て調達してくれていた。確かに私たちは、おばあさんに頼らなければ自分たちの力だけで生きていくこともままならない、無力な存在だった。
でも、奴らがやってきた。私たちを捕獲して、売りさばくために。表面上では「可哀想な猫たちを救う」ために、だ。彼等は定期的にやってきて、売れそうな猫をランダムに拉致していくようになった。
そしておばあさんも自分の身に何かあった時のことを心配していたので、その団体を頼るようになった。
猫たちの中には、それを喜ぶものも確かにいた。こんな寒くて何も無い田舎町はさっさと出ていって、団体を通して裕福な家に売られて贅沢な暮らしをしたいと思っている猫たち。
しかしその一方で、楽園を愛し、ここで一生暮らしていきたいと思っている猫たちが半数以上いた。
どちらが幸せなのか、その判断はそれぞれの猫に委ねられていた。ただ一つだけ言えることは、団体に連れていかれたら最後、一生この楽園には戻って来れないということだった。
 
「私のお母さんが連れていかれたんだ」
「......そうだったんだ」
私はそれ以上何も言うことが出来なかった。
「私の身代わりをしてくれたの。彼らが私を抱きあげようとした時に、お母さんが走ってきて彼らの腕から私を押し出したんだけど、お母さんと私って瓜二つだから...彼らはどちらでも良かったみたい。そのまま連れていかれちゃった。私がこの楽園を愛していて、一生暮らしていきたいと思ってることを、お母さんは知っていたの。だから...」
そういってシロは泣き出した。
私はシロの背中をさすりながら言った。
「...私も今度飼い猫になることになったんだけどね」
私が話し始めると、しゃくりあげて泣いていたシロが少し静かになった。
「本当はここにずっと居たかったんだ。といっても私は人間が嫌いじゃないんだけど、やっぱり猫が好きなんだよ。ずっと猫たちと一緒にいたい。私、ボス猫のこと嫌いって言ってるでしょ?でもね、やっぱり同じ猫だからわかりあえる部分がいっぱいあるんだよ。

f:id:yusunchoe:20200527213548j:image人間と一緒にいると、確かに贅沢な暮らしができるかもしれない。でもさ、シロみたいに私の一番好みの猫じゃらしを選んできてくれることなんて、人間にいくら説明したって出来ないよね」
「...選べるわけないよね」
私たちは顔を見合わせて笑った。
「シロ」
「...うん」
「人間を好きにならなくてもいいよ」
「...え?」
「私、自分の職業が馬鹿らしくなってきた」
そう言って、今度は私の目から大粒の涙が流れ出した。
 
☆次回、完結