氷の世界(3)

最終話「旅の理由」
 
俺はかき氷を口に含んだ後に、自分が知覚過敏だったことに気付いた。
「あああああああああああああああ」
あまりの痛さに声が止まらない。
「おやおや、大丈夫かい?さあ、これをお飲み」
婆さんは温かいお茶を出してくれた。

 

お茶を飲んで歯の痛みも落ち着いてきた俺は、改めて自分の体の管理すらろくにできない、己のだらしなさを恥じた。
それは、俺が長旅に出た理由でもあった。
俺の沈んだ顔をうかがって察してくれたのか、婆さんは「悩みごとがあるんじゃろ。話してごらんなさい」とやさしい声で言った。
俺は話しはじめた。

 

旅に出る前、高校生だった俺は何をやってもだめで怒られっぱなしだった。
勉強もできない、スポーツもできない、おまけに遅刻ばかりで、先生たちからは問題児のレッテルを貼られ、友達からは馬鹿にされていた。
 

そんな俺には、好きな女の子がいた。
同じクラスのその子は、いつも髪がボサボサで、それなのに可愛くて、ボサノバ部の部長だったので背中にはいつもクラシックギターを背負っていた。


その子は俺の隣の席で、授業についていけない俺にいつも勉強を教えてくれた。
説明しながらそれをノートにわかりやすく書いてくれる彼女の手が俺の手に触れるたびに俺が顔を赤らめていたことなど、彼女には知る由もないだろう。

 

いつのことだったか、俺が「この方式の答えは?」と聞くと、彼女は「答えはいつも、風の中」と答えた。
そのときは意味がわからず、俺はキョトンとした。
でも後から考えると「人に聞くばっかりじゃなくて、まずは自分で考えなさいよ」という意味だったのかもしれない。いや、そうじゃないかもしれない。
その掴みどころのないミステリアスさも、彼女に惹かれる一つの理由だった。

 

いつしか俺の心ははちきれそうになり、ついにその子に告白しようと思った。
でも深刻な問題があった。
今のカッコ悪い俺のままじゃ、確実に振られてしまう!
俺はあの子のハートをがっちり射止められるような、強くて頼もしい男にならないといけない。
そうだ、旅に出よう。そして今の俺より数百倍も強くなって戻ってこよう。

強い男に、俺はなる!

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このような冒険系の漫画やアニメの影響を受けすぎたがために、現実世界においても一時的に大量のアドレナリンが分泌されることによって、「旅に出る=強くなれる」という何一つ理論的根拠の無い方式が脳内ででっちあげられたことで、俺の大いなる旅は始まったのであった。 
 
しかし、このざまだ。俺は涙が止まらなかった。
歯が痛くてではなく、己の情けなさに。
結局好きな女の子に告白することさえ怖くて逃げ出したにすぎない、本当のろくでなしだ。
もう旅は辞めて故郷に戻ろう。そして強い男になることは諦めて、一生無様な人間として生きていこう。
 
「そんなことしなくても、私もあなたのことが好きだったのよ」
俺は涙を拭いて顔を上げた。
そこにいたのはなんと、あの子だったのだ!
 

「アッハッハッハッハ!驚いたかの?」と後ろから婆さんがひょっこり現れた。
「な、なんで……?!」
俺はパニックになって頭を抱えた。
「この人は私のおばあちゃんなの!夏休みだから遊びに来てたんだけど、あなたが来たから驚かそうと思って隠れてたの。なんかごめんね!」
「え……?」
「ハッハ!まだ戸惑っているようじゃの。知覚過敏のお前さんのために、冷たくないかき氷もあるんじゃよ、ほれ。ワシはもう行くから、二人でゆっくり話していきなさい」
そう言って婆さんは去り、二人きりになった。
 
「あの、さっきの私の言葉、聞いてた?」
「…うん」
彼女は、顔を赤らめた。
いつか彼女の手が触れたときの、俺のように。
 
「かき氷、一緒に食べよっか」
「…うん」
 

(完)

 

☆作者による一口コメント

まさか恋愛物語になるとは、自分でも予想外の展開でした。
しかしながら、ねるねるねるねの様相をした婆さん、その孫娘である「あの子」は一体何者だったのか、私にも知り得ません。

答えはいつも、風の中。