自由な人

道中で、「70近くなったから、死ぬ前にお金を使い果たすために日本中を旅している」という人と出会った。

死ぬ前にやりたいことリストを作って、それを一つづつやっている最中なのだが、あまりにも多すぎてあと100年ほしいという。


自分が70歳になったとき、こういう考えでいられるだろうか。

「死ぬまで負け戦だけれど 楽しく生きていこうか」という歌詞のオリジナル曲があるが、本当に負け戦のまま人生を楽しみ続けることはできるのかな?

死ぬまで、と容易く言うけれど。正直、自信はない。


その女性は一人が大好きで、一人で日本や世界を飛び回っているらしい。

「寂しくなるときはありますか?」と聞くと、「無いと言えば嘘になるけれど、寂しくても自由なのと、寂しくなくても何かに縛られ続けるのと比べたら、自由な方がいいでしょ?」と言った。


自由って何。

「自由になりたいから旅をするんじゃないの?」ということかもしれないが、それは物質的に自由にどこにでも行けるということで、本当の自由とはまた話が違う。

仕事に縛られていてどこにもいけなくても、その仕事が自分を自由にしてくれているという人がいるなら、その人は誰よりも自由に見える。音楽もそうだ。何でも、それを使うことで自由になるのか縛られるかのは自分次第だと思う。

その人は子どもを4人育てて、それも楽しかったと言っていた。もしかするとその人にとっては、子供を育てることも自分が自由になれる手段(子どもには申し訳ない)の一つだったのかもしれないな、と思った。


私が24歳だというと、「私が結婚した年だね。結婚は、一回どんなものか経験しといたほうがいいと私は思うよ。別れてもいいから」だそうだ。

結婚するかどうか、というかそもそもできるのかわからないが、こんなに自由気ままに楽しんでるように見える人に、それを言われることに説得力を感じた。


その女性が「一人が好き」なのにはもう一つ理由があった。

彼女は足が悪くて杖をついていて、「人と同じ速度で歩けない」ことだった。

私はそれを聞いて、自分の過去を思い出した。

彼女とは全くレベルの違う話だが、私は幼少期、保育園で給食を食べる速度が一番遅くていつも焦っていて、時々泣いていた。

その後も算数計算が遅いとか歩くのが遅いとか、色々と遅い問題というのはあったのだが、今思えばもうその頃から、自分がみんなと歩を合わせることは無理なことで、その代わり何でも一人でできる力がなければこの先生きていけないことに気付いていたのだろう。


そのようなことも、この旅をするに至った経緯の一つになるのだろうか。

すると、幼少期の気質の7割は遺伝子に起因するらしいので…ということは、生まれたときから自転車旅は決まってたのー?!

いかん、そこまで行ったらニヒリズムに陥ってしまう。今日のところはひとまずこれにて。