弱者のこと

弱者って、一体誰のことだろう。
今日の緊急事態宣言の会見を見ながら、ふとそんな考えが浮かんだ。

 

ツイッターを見ると、補償のこととか、ホームセンターとか、そもそも発令が遅すぎるとか、もう色々と言われてる。

 

でも安倍さんの質疑応答を見ていると、政治の知識が全くない私でも、明らかに無理してるかんじがわかる。頭が悪いと思う。
早く辞めるのが国民のためでもあるけれど、何よりも本人のためだと思ってしまうのは私だけだろうか。

 

これを言ってしまえばいろんな方面の人から怒られそうだけど、安倍さんは権力という仮面を被っているだけの、かよわい弱者なのでは。
後ろから操られ、前から攻撃されて、可哀想で見てられない。
もう安らかに余生を送らせてあげたいよ。

 

弱者といえば、最近読んだ記事がある。

https://note.com/h_ototake/n/n421eb8211e0a

→これすごいと思った。
五体不満足」のときから、改めて尊敬。
内容はもちろん突きつけられるけど、伝え方の技術が。本当に見習うことが多い。

 

社会に対して何かを訴えるのって、当事者の人が言わないと正直あんまり意味がないと思う。
もちろん、乙武さんのようにライターであれば文章力という「技術」が伴わないと負け戦でしかないから、必死にそれを磨くのだろうし。

 

健常者の俳優女優が、映画やドラマで障害者の役をするとみんなこぞって賞賛するけど、その場合の勝者ってやっぱり健常者なんでしょう。(そもそもこの世界に健常者とかおらんやろ、っていう議論はさておいて)


24時間テレビみたいなあからさまな形ではないにしろ、「感動ポルノ」っていうのはそういうことでもあるだろう。
あんまり「弱者」とか「マイノリティ」とかひとまとめにして考えたくないけど。

 

今日のWBさんのブログで抜粋されていた、スティーブン・キングの『小説作法』の文章にこういうのがあった。

 

「疑問や主題の論議から小説を書き起こすのは本末転倒である。優れた小説は必ず、物語からはじまって主題に辿り着く。主題にはじまって物語に行き着く事はほとんどない」

 

これって、それとちょっと似ていると思った。
(指示詞しか出てこない)

 

論議がひとり歩きして、その論議の主人公(の物語)が置いてけぼりになったら本末転倒なのでは。
そうなると小説じゃなくて、ルポになってしまう。
ルポならルポで良いけど、小説の側からすると「あんたさ、小説ヅラせんといてくれへん?」ってかんじだろう。
事実を淡々と書く分には良いけど、そこに感情移入してしまうと話は変わってくるというか、おせっかいというか。

 

ここまで来ると何を言いたいのか自分でもよくわからなくなってきたが、とりあえず当事者以外の人がその人のことを物知り顔で語るのは意味がないし、場合によれば逆効果にさえなりうるのではないかと。
小池百合子都知事志村けんさんのご逝去を「功績」なんて言ったというのも、それと同じ文脈でのことなんだと思う。
 

私も日本の人に「在日は色々と大変だよね」なんて言われたらちょっとイラッとしますもん。
「あんただって大変でしょう。お互い社会の底辺ですもんね」なんて言いたくなる。さすがに言わないけど。

 

と言いつつ、私も他人にそういうことを無意識でよくしてしまいがちだから人のことは言えないのだが。

 

今日はちょっと世相を切るみたいなかんじになってしまった。
基本的に浅知恵なので、信じるか信じないかはあなた次第です!