音楽≒暇

最初に、これから書くイキり口調の長文は最後の方で思いっきり論理破綻となるので、読む意味というものは全くもってありません。
今更ですが、無意味なことをつらつらと書き連ねることに喜びを見出すたちなのでご理解のほどよろしくお願い致します。
 
無意味なことというと、音楽だ。
実際に音楽をやっていると名乗る人間がこれを言うことに一見の矛盾はあると思うが、音楽のみならず基本的に森羅万象には何一つ意味がないと思う。もちろん人生もそうだ。ビルゲイツとかじゃない俗にいう普通の人間が、何をやってもやらなくても実際ほとんど変わらない。でも何故するのかというのは、おそらく私のようにそれをいちいち考える人間でなくても、誰でも薄々は気付いてることだ思う。
それは、暇だからだ。それだけだ。でもそう考えたら、ビルゲイツだって暇だからやっているのだろう。まあそれはさておいて。
 
で、今の自粛の状況というのを「暇」と言う人がいるのだが、そもそも人生は暇なのだから暇も何も無いのだ。
学生時代、先生に「人は何のために生きているのですか?」と質問すると、先生は「そんなこと考える暇があれば勉強しなさい」と答えた。質問の答えにはなっていないが、私は妙に納得した。
言うなれば、さて死ぬまでの時間を何して潰そうかな?ということだから、人を殺すとか過剰に苦しめるとか倫理に反する行動さえしなければ基本的に何をやってもいいと思うのだ。幸せに生きて、死ねばいいのだ。
 
そして今の時代は価値観が多様化して「幸せ」の指標が人によってますます異なってきているので、例えば物質としてのお金があるとか権力があるとか皆が羨む仲良し家族だとか、そういうオーソドックスでわかりやすい「幸せ」を追い求めるのも良いけど、まだ概念化されていない「幸せ」を見つけてさらにそれを何かしらの形にしてみると運が良ければ市場価値(結局お金だけど)も発生したりして一石二鳥だと思う。
その一つのツールとして音楽があると考える。
 
タイトルを「音楽=暇」じゃなくて「音楽≒暇」にしたのは、それだ。
暇な時間をただ暇としてやり過ごすのか、自分なりの幸せなりお金なり何かしらの価値があるものを生み出そうとするのとでは、以て非なることだろう。
 
と自分の主観でしかないことを調子に乗って長々と述べてきたが、ただ一つ言えることはこんなに考えをこねくり回したとしても、忌野清志郎氏のただ歌ってる姿や、そこで奏でられる曲や、名曲『JUMP』のしょっぱなから出てくる「夜から朝に変わる いつもの時間に 世界はふと考え込んで 朝日が出遅れた」というたった32文字の破壊力には勝らない。
何故なら、この歌詞には強烈な「意味」が込められているからだ。
結局何が言いたいかというと、だから音楽はすごいし言葉の力はすごいし、それは無力でも無意味でもないのだ。
 
は?
誰かツッコんでください。