近況報告

近頃のブログではジローとかチカンとかゴキブリの話しかしていなかったが、珍しく音楽の話をしようと思う。

 

26日のGGライブをもって、ライブ活動を休止している。

胸を張って言えることじゃないが、今私は必死になって逃げている。音楽を始めた頃に自らが設けた、「音楽を続ける限りはライブを続けないといけない」というルールから。

 

ライブがしんどいとかそんなことで片付けられないぐらいに、たくさんの強く濃い繋がりができてしまったし、もらったものも数え切れないほどある。いずれにせよ、それを何らかの形にして返さないといけない。

 

でも返すものを返したら、これからは第一に自分を楽しませるための音楽がしたいと思っている。

自分がどう見られるかとか、売れるかどうかとか、お客さんを満足させるとか、そういうごちゃごちゃしたことはできる限り忘れてしまいたい。

結果的に良く見られて、売れて、お客さんに満足してもらったらものすごくラッキーだけど、もともとそういうことを神経質に考えてしまう性格ゆえ、ますます辟易してきた。

 

活動を始めてもうすぐ2年が経つが、この2年間で学んだことは、音楽で自分自身を商品化するためには、想像以上にお客さんを意識した表現をしないといけないということだった。

商品化するという言葉は良い響きではないが、人前で自分の作った曲を歌ってお金をもらうというのは結局そういうことだ。

それは幸せであると同時に、とても辛くて大変なことだ。「とても幸せなことなんだから我慢してやったほうがいい」と、それをやったことがない人にわかったような口で言われることだけはものすごく嫌だ。

人は口では「あなたの表現が見たい」と言うけれど、おそらくその言葉には「何らかの型にはまっていて、私たちがそれを理解できることが前提で」という気持ちが省略されている。

結局は既存のパターンに少しオリジナリティが加わったもの、そういうものが求められている。

男か女かわからない人が、見たこともない楽器を鳴らしながら、パターンを無視しためちゃくちゃな旋律に、何語かわからない言葉を乗せて歌を歌っていたとしたら、人はそれに感動するだろうか。表現者自身がこの上ない方法で自分を表現できていると思っていても、聞いている方が「理解」できなければ、それが「良い表現」と言われることはない。

あるSSWが言っていた。音楽は支配なんだと。結局人は、何かわかりやすいものに支配されたがっているにすぎない。

それが必ずしも悪いことだとは思わないが、音楽を愛することが一点の曇りもなく清く美しいことだと考えている人がいるのだとしたら、それは間違いだ。音楽で、人は簡単に思考を停止させることができる。

 

私はプロにはなれないし、なれなくても幸せだと思えるようになろうと思う。

少なくとも今は、見かけの良さや年齢、性別、そういうもので音楽の良し悪しを判断する世界からはできる限り遠ざかっていたい。

商品価値に反映されないようなことでも、思いっきりやってみたい。

自分のための音楽をやりたいし、同じような気持ちの人たちに交わって音楽をやりたい。

ライブをするなら、できるだけその気持ちを維持して舞台に立ちたい。

 

このように長ったらしく書いてきたが、一言でまとめるなら、私は今、辛いことを拒んで楽しいことをしようとしている。