僕の秘密

「ドゥックー!梅キュウリお出しして!」
「はーい!」
僕の名前はドゥック。数年前に日本に渡ってきたベトナム人留学生だ。
大学の近くにある大衆居酒屋でバイトをしている。
 
カロンコロン〜♪
「いらっしゃーい!」
あっ、兄さんが来た!
兄さんとは、この酒場によく来る常連客のことだ。お客さんの中では一番仲良くしてもらっているので、僕はその人のことを「兄さん」と呼んでいる。
今日は同期の同僚を一人連れてきたみたいだ。
 
「ニィサン、イラッシャイマセ!」
「おードゥック!今日も頑張ってるな〜。そしたら...とりあえずホッピーで!」
兄さんは本当にホッピーが好きだな。
普通、最初は生ビールでしょ。
「それから...焼き鳥盛り合わせ!」
「タレ、ト、シオ、ドッチニナサイマスカ?」
「もちろん、オーシーで!この歳になったらタレはちょっとキツいんだ〜」
「シオ、デスネ。カシコマリマシタ!」
毎回思う。もちろん、って何だ。そして、オーシーって何だ。普通に「塩」って言う方がわかりやすいし時間も短縮されるだろうが。
とはいえ、兄さんはすごくいい人だ。
だから時々申し訳なくなる。僕が兄さんに様々な嘘をついていることを。
 
僕は日本に来た当初から、ずっと「カタコトごっこ」をしている。
ベトナムにいた幼い頃から英才教育を受けてきて、特に外国語教育を徹底的に受けたことにより、僕は軽く10ヶ国語前後の言葉を話すことが出来る。
そして日本語もその中の一つで、日本に来る前からネイティブ並みの日本語力があった。正直、日本人より日本語が上手い自信がある。
47都道府県の方言を、全て話せる。もちろん言葉だけじゃなく、その地域特有の文化などもしっかり把握している。
大阪に行って、会話の中でいきなり「バーン💥🔫」とされても、「ううっ😖」という反応を返せるし、京都の酒場に行って舞妓さんに「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われそうな気配がするやいなやサッと席を立つスキルだってある。
ベトナムにいながらほぼ文献だけを通してこれらをマスターした僕は、幼い頃から神童と呼ばれてきた。我ながら天才だと思う。
だけどあえてカタコトで喋ることで、相手の反応を観察したり、外国人である自分を満喫したりして遊んでいるのだ。これがなかなか楽しい。ただ一つ、一度カタコトで喋った相手にはこの先ずっとカタコトで喋らないといけないのがちょっと面倒くさいが。
そして兄さんも、この「カタコトごっこ」の犠牲者の一人ってわけだ。天才的な頭脳と同様、このひん曲がった性格も生まれつきだ。

兄さんのいる個室から声が聞こえてくる。
「...お前との掛けには負けたよ」
「だから言ったろ?絶対別れるって」
「ちくしょう、今度は上手くいくと思ったんだけどな〜。俺には女の気持ちってのが一ミリもわからないんだよ。これだけ科学技術が発展した現代にさ、どうにかならないものかね?人工知能さんよ〜」

人工知能か。そういえば、中国には女性型AIとの対話サービスアプリってのがあるらしい。驚いたのは、それと話してるうちに実際に恋に落ちてしまってAIの彼女と"付き合う"男性が続出してるみたいなんだ。人工知能と付き合うってどういうことなのか全くわからないけど、兄さんも人間と付き合うのが色々めんどくさいっていうなら、この際人工知能と恋愛すれば万事解決なんじゃないか?

 
「そういえばさ、ドゥックには愛するフィアンセがいるんだってよ。ほんと羨ましいわ〜」
兄さんの言う通り、僕は祖国にフィアンセがいる。
でも兄さんは知らない。僕が日本で浮気三昧の生活を送っていることを。
正直言うと、ベトナムの女より日本の女の方が落としやすいのだ。とりあえずカタコトで喋れば「カワイィ〜!」と始まり、少しずつ強めの酒を飲ませていきながら、さりげなく男らしさの部分を見せつけて第一印象とのギャップをかましていくことで、物の見事に皆コロリといく。
ちなみにシュアン(フィアンセの名前)だってベトナムで遊び散らかしているから、お互い様なんだ。
昨夜シュアンから来たメールなんて、こんなだった。


 💌
ドゥック氏、元気?
ちなみに私の方はこんなかんじです😎
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クラブで楽しんでる写真なんていちいち送ってくんなよな。
恋愛結婚なんて言うけど、所詮そんなの形だけだ。それに関しては万国共通だと思うんだ。
「ドゥックー!焼き鳥できたよ〜」
「はーい!」
 

「ヤキトリモリアワセ、オマタセイタシマシタッ!」
「お、ありがとう!なあドゥック、安達祐実って知ってるか?」
「シラナイ、デス」
「だよな〜。ドゥックが日本に来る前に子役でブレイクしたんだ。今じゃ、べっぴんの女優さんだよ」

兄さん、ごめんなさい。知ってるどころか、大ファンです。家には安達祐実のポスターや写真が壁全面に貼られていて、毎朝毎晩拝んでいるぐらいなのです。
幼い頃、両親が日本からDVDを仕入れてきて一緒に見ていたのだ、『家なき子』を。安達祐実の可愛さにも度肝をぬかれたけど、あの名台詞を初めて聞いた時は震えたな〜。
でもなんで安達祐実の話をしてるんだろう?そういえばさっき僕の話してたな...きっとドゥックの"境遇"に同情はするけど、金を恵んでやれるほど自分達にも余裕が無いってところだろうか。
でも、兄さんは知らない。僕が別にお金に困ってないことを。


僕の両親は世界を股にかけて色々なビジネスを展開させていて、ビジネス業界では知る人ぞ知る起業家夫婦なのだ。当然世界中に人脈があるのだが、今のバイト先の店長ともそのようなコネがあって、有難いことに僕は今かなりの高賃金で働かせていただいている。
バイト仲間は僕と接するときに「(哀れな)出稼ぎの外国人」としてちょっと気を使ってくれてるんだけど、この秘密を知らないからなんだ。
実は僕は、彼ら(日本人従業員)の約12.5倍の賃金をもらっているのだ!もはや社長と派遣社員の賃金差とかのレベルじゃない。別に家に仕送りする必要もないから、余ったお金で株に投資したり、日本財団に寄付したりしている。寄付までしてるのに、まだ罪悪感が残るぐらいだ。もうちょっと減らしてくれても良いのに、とさえ思っている。
 

個室から兄さんの声が聞こえてくる。
「時代は令和にもなったってのに、相変わらず朝から晩まで労働かよ〜。はやくベーシックインカム適応されねーかな...ってそんなの無理か!」
兄さん、ごめんなさい。
僕、たったの週3勤務で、ほぼ貴族のような暮らしをしてるんです。
「家にカラオケ付きサウナぐらいあればな〜」
家にカラオケ付きサウナがあるんです。
「冷蔵庫に世界三大珍味は揃っててほしいよね!」
冷蔵庫に世界三大珍味が入ってるんです。

兄さん...
僕は申し訳なさでいたたまれない気持ちになって、色々考えた末に店長のところに行った。
「店長」
「おっ、ドゥックどうした?」
「いつも来てもらってる兄さんに、今日はちょっとだけまけてあげたいんです」
「うーん、ただでさえ今月はコロナで売り上げがガタ落ちだからな...まっ、50円だけならいいよ!」
「50円ですか...わかりました。ありがとうございます」
まあいいや、この際兄さんを思いっきり笑わせてやろう。
僕は店長に向かって、丁寧に頭を下げた。

 
「おあいそで!」
「ニィサン、イツモアリガトウゴザイマス!キョウハ、チョットダケヤスクシトキマシタ」
「おう、そうか〜ありがとう!ちなみにいくら?」
「ゴジュウエン、デス!」
「ぶっ!ハッハッハッハッハ!!!50円か〜。そういうところだぞ、ドゥック!」
案の定、兄さんは大笑いした。
僕も一緒に笑った。
そのとき、なぜだか僕はとても幸せな気持ちだった。
「なあ、ドゥック」
「ハィッ!」
「お前、変わるなよ」
「......ハィッ!」

僕はその時「ハテ?」というような不思議そうな顔をしながら答えたんだけど、本当は兄さんが僕に伝えたかったことがスッと理解出来たんだ。
 
兄さんは僕について何も知らないけど、ただ一つだけ確かなことがある。
兄さんはすごく優しい人だ。お客さんなのに、誰よりも僕を気にかけてくれて話しかけてくれるんだ。ちゃんと生活できてるのか?とか、国にはちゃんと帰れてるのか?とか。
兄さんと出会うまではそんなこと聞いてくる人はいなかったから、最初はびっくりしたな。こんな人もいるんだって。でも、嬉しかったんだ。もちろん時々お節介だったりうざい時もあるけど、そういうところも含めて大好きなんだ。
僕は兄さんが思ってるようなタイプの外国人じゃないけど、実際は死ぬ程苦労してる仲間がほとんどだ。もし彼らの周りにも兄さんみたいな存在がいたら、どれだけ心強いだろうかと思う。
別に、本当の僕のことなんて理解してもらわなくていいよ。僕だって、兄さんのこと知らないからさ。
 
だから、兄さんも変わるなよ。
 
△参考資料
ゆーすけさんの曲『アルバイトのドゥック』